久しぶりに目にした名前だった。
福本玉樹
数年前まで、大阪の画廊の街・西天満で「ふくもと」という小さな店を
構えていた。
しかし、数年前の春、突然、店をたたみ行方がわからなくなっていた。
それが、突然、大阪地裁の法廷に現れたのは9月初めのことだった。
真っ黒に日焼けし、杖を片手に
「大勢の人がきてから」
とつぶやきながら、入廷する福本氏。
2016年3月、顧客から預かった絵画を質に入れて、300万円を得ていたことで
業務上横領罪に問われていたのだ。
戦後最大の経済事件・イトマン事件の際は、
福本氏はまさに絵画案件のキーマンだった。
福本氏はまさに絵画案件のキーマンだった。
許氏の求めに応じ、絵画を探して、それを担保にイトマンから融資を引き出した。
福本氏は鑑定書を偽造した、有印私文書偽造で実刑判決となった。
だが“フダ”(逮捕状)が出てから、7年あまり福本氏は逮捕されなかった。
「許氏の顧問だという田中森一弁護士(故人)から、逃げてくれと言われた。けど、車の免許をとろうと合宿免許にいたら『許の使いや』という者から〇〇組の名刺を見せられ、観念しました。免許は取らずに
現金2000万円をもらって、飛行機の飛び乗り、ヨーロッパに渡った」
と福本氏は私に語っている。
その後、福本氏はアメリカ・サンフランシスコに渡る。
かくまってくれたのは、山口組生島組の関係者だった。
許氏に20億円もの美術品をセールスするなど、西武百貨店の
敏腕営業マンだった福本氏。
敏腕営業マンだった福本氏。
サンフランシスコから抜け出し、自立する。なんとサンディエゴに居を構えて、
アマチュアのゴルフツアーに出場。
「高倉健と渥美清のファンだったから、KEN ATSUMIで出場しました」
と福本氏。
日々、ゴルフの練習に明け暮れ、同じコースで練習仲間となった、フィルミケルソンの父親からも
指導を受け、腕を磨きいつしか、アマチュアトーナメントで優勝するほどになった。
マンガのような話だが、それは現実だった。
マンガのような話だが、それは現実だった。
その当時の地元紙には
<KEN ATSUMIの勢いを誰が止めるか>
との特集記事まであった。
その後、アメリカで修行にきた、日本人選手の世話役まで買って出るようになった
福本氏。とても、イトマン事件の逃亡者とは思えない。福本氏が世話した一人は
トッププロに成長。ツアーで何度も優勝している。
トッププロに成長。ツアーで何度も優勝している。
「昔の若い大学生とか修行の子は、みんなKEN ATSUMIと思うてますわ」
と福本氏。
しかし、1998年、
「路上で汗流している黒人の工事現場の人を見て、ワシはなにしてんねんやろう」
と思い、帰国。逮捕されて実刑判決となった。
出所後、先の画廊をはじめたのだが加山又造の「冬山」という有名な絵画を詐欺にあった。
逮捕された、西将来は実刑判決となった。しかし、福本氏に「冬山」は戻ってこなかった。
9月の法廷後、数年ぶりに会った福本氏に聞いてみた。
「なんで騙されたことと、同じような罪になることしたんよ」「冬山の詐欺で、カネが必要であちこちから借りてしのいでいた。けど、ダメになって担保に入れたんや」
という。だが被害弁償すれば和解、執行猶予判決の可能性もある。そう進めても
「もう悪いことしたんやから、刑務所いきますわ。2回目やし、要領はわかっている。老人向けの糖尿病の食事もあるそうですがな」「なんか、あの人(被害者)には弁償したくないんや」
という。
福本氏はもう71歳、若くない。受刑生活は厳しいものだ。なんとかやり直してほしいと
思いながら、今日の判決を待ちたい。