まいど、いまにしです。

こないな賞をいただきました。
きのうの受賞式はUST中継とかなく、どないあいさつ、話したんやと、問い合わせありました。
だいたい、以下のような感じです。
皆さまのご支援のおかげです。
感謝ですm(_ _)m

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自由報道協会賞
http://t.co/Phbx9PSdcF

今西憲之さん+週刊朝日編集部の『原子力ムラの陰謀__機密ファイルが暴く闇』
授賞式1月25日


今回は諸先輩の方々に、数々の候補作の中から、高いご評価を賜り、自由報道協会賞という、栄誉ある賞をいただきました。ありがとうございます。

ここに来る途中、過去に映えある賞をどんな方々が受賞されたのか、スマホでみていましたら、こんな名前を見つけました。

おしどりけん

ワシの方がずっとしゃべくりうまいし、なんでおしどりけんが先に
もろうてんねんって、これほんま。
そないいうたら、原発が爆発したときに、デマ、デマっていわれとったひとおったやないか。
あのひと、みなさんご存知のあのひと。
ひょっとしたら、漫才大賞かなんかの受賞式かいなと思いながら、表彰をいただけるとのことで、ほっとしております。

でもって、賞をいただきました、原子力ムラの陰謀。
原子力ムラの陰謀a

これは、旧動燃、いまの原子力研究開発機構、JAEAの話です。
福井の高速増殖炉、もんじゅ、青森の六ヶ所村、再処理とか、核燃料サイクルやってます。実質、税金つこうてやってます。
そこに、いらっしゃったのが西村成生さん。総務部次長という要職でした。
1996年1月 西村さんは帰らぬ人となってしもうた。
その前年、1995年12月もんじゅはナトリウム漏れ事故を起こした。
動燃はイチエフの事故で、メルトダウンしてないとずっと事故を軽く見せようとしていた
東京電力と同様にビデオなどの証拠を隠蔽。
事故を軽くごまかそうとして、大きな批判を浴びた。

西村さん、その収束にあたっていた。
動燃、ウソばっかりいうので、記者会見で説明ができるひとがいなくなり、西村さんにまで出番がまわってきた。
そこで間違った説明をしてしまい、それを苦にして自殺してしまったとされる。

だが、西村さんの死、奥さんのとしこさんが調べたところ、えらいおかしいことがわかってきた。
動燃もとしこさんが何を聞いても、ちゃんと答えない。
めちゃくちゃ怪しい。
としこさん、裁判までやって真相究明を願った。
けど、裁判には負けて、なんもわけがわからん状況がいまも続いている


西村さん、仕事熱心で自宅に山盛り、仕事の資料を置いていた。
としこさんは、ほとんど手付かずのままにしていた。
ある時、テレビ局、日本では一番といってええほども報道番組の記者に資料の存在を打ち明けた。
記者は会社でこんなごっつい資料ありますねん。そう上司に告げた。
すると、原発のことなんでアカン。それで終わり。
原子力ムラが怖くて取材はしたらアカンと。

その記者、資料の価値はようわかっていた。
なら、自分でやれんかったら、他の記者にと言うてまわった。
けど、原子力ムラの分厚い壁が立ちはだかるばっかりで、うまいこといかん。

そんなとき、爆発したイチエフになんかいも行く、アホなことしている、ワシに話が来た。
去年1月、としこさんをお訪ねしました。えらい大雪で、なかなか家につかへん。
こら、ヒキがあらへんかなと思いつつ、
なんとかたどりついて見せてもろうた
資料が段ボール箱に5個。
これは、一級品やと思いました。
そのとき、原子力ムラって言葉が
浮かびました。

ワシ、一昨年にイチエフを自分の足で立ち、みて、感じて、書いた最高幹部の独白という本を出しました。
saikoukanbu

私をイチエフに導いてくれた、えらいひとはこう言いました。
生のイチエフここまで書いたら、次は原子力ムラや。
いつかそんなチャンスはあらへんかと思っていたら、
予期せぬところからやってきた。

資料は新しいことはない。
けど、原子力ムラのデタラメ、インチキがここまで、
系統的にまとまって出てきたこと、
これまであらへんはず。これは書く価値は十分ある。

その日から、資料との格闘がはじまった。

その思いを決定づけられた瞬間があった。
西村さんの裁判資料みていたときです。
私の手が動かなくなった。
それは、お亡くなりになられた、日隅 一雄さんの名前があったからです。
弁護士でジャーナリストの日隅 一雄さんが、西村さんの代理人をされていたんです。
自由報道協会賞創設にご尽力された 日隅さん。
原子力ムラがいくら強大であっても、あとにはさがれん。
イチエフにツッコんだんや、負けてられんと。

週刊朝日のスタッフと手分けして、
北海道から九州まで取材に行きました。

動燃は、税金つこうてます。

原子力ムラの思いどおりになる議員に、税金つこうて当選させる。
国策のプルトニウム輸送、いかにほんまのこと言わずにごまかすか
腐心する。
原発はコストが安いのがウリ。けど、原子力ムラは実はデタラメな計算でごまかす裏側がかかれていた。
地元の警察と飲み会やっては、シッカリ手土産渡してとか、とんでもない話ばっかり。

それを動燃は工作と呼んでいた。
元、動燃のえらいさん、
もう時代が違う、工作いまはやってないという。
けど、徹底して取材したら、工作いまもやっていた、工作員もいる。
これ、税金つこうてます。
原子力ムラ、ここまでやるか、ええ加減にせえよと。

私が書いた原子力ムラの陰謀、ほんまにごく一部。
まだまだ、解明せなアカンこといっぱいあります。

西村はっぴ


とりわけ西村さんが亡くなられた真相はまだわからん。
原子力ムラの陰謀、世に出せたのは、天国から告発してくれた西村さん、
としこさん、イチエフのえらいひと、ひづみさん、表紙の帯にメッセージを
いただいた、京都大学の小出先生、週刊朝日のスタッフはじめいろんな方々のご支援があったからです。

小出先生


今回、ちょうだいしました、漫才大賞やない、自由報道協会賞。
これを励みにこれからも執筆活動を続けていきたいと思います。